気持ちはいまだ複雑で、そんな中で口を開いて声を出した
ということは、何にせよ良くやったとおもう。が、
これだけお綺麗な顔を出して、カメラ目線に上目遣いで
「私は悪くない。全く普通の生活を営んでいて、突然事件に巻き込まれただけ」
と声高に主張されると(まぁそれが被害者が立ち直るために必要な行為だとはよく分かるが)
なんだか微かに違和感を覚える。まぁ、売れる表紙だよね。
「日陰から出てくるな」と言うつもりはないけれども、
ほぼ似たようなことをされた人間として、羨ましく感じてしまう。
妬ましい、という方が近いかもしれない。というかそう。妬ましい。
完全に非がない人間しか、声を出す権利がないんだろうか。
もちろん自分の妬ましさが、こんな一方的な思い込みを作っていることはよく自覚できる。
そんな人間(不本意に事件に巻き込まれたAV女優等)と同じにしてほしくない、
と言わない位には筆者は十分に人間が出来ている人だろうし、むしろ同じ仲間だと言ってのけるだろう。
でも、日陰側から見ると、ものすごい距離と壁を作られているように思えてならない。
そんな微かな違和感を抱えて読み進めると、
「そういうこと(=レイプなどの異常性交)が好きな人は好きな人同士でやってくれ」
と書いてあるのを目にした。
本当に嫌だったって言える被害者って、どれ位いるんだろう。
程度の差はあれ、
「そんなに大したことではなかった」「そんなに毛嫌いしなくてもいい体験だったんだ」
と思い込んで、その度合いが大きくなって「そういうのが好きだったのかも」と思ったりする人、
いないわけじゃないと思うんだよね。私のほかにも。
目に見えない厳しいカーストが存在していることを改めて実感した。
私はあなたのように、完全に非がなかったなんて言えません。
だから私は、そうやって隔離された 日の差さない無限地獄に落ちなくてはいけないですよね。
巻末に載っていたミスチルの歌詞の「愛し合って抱き合って」って、
それ、犯人とやったことと、同じ事だよ?
あなたは汚れていない故に、
ただの僻みでしかない。