やさしいという評価ほど他人からしかつけられないものはないわけで。
自分でそれを評価しようとすれば、例えばそれは『甘い』という言葉になったりもする。
基本的に他人からの評価というものは、自分が思っていることとはずれるものだ。
自分が思っている『やさしい』と、相手が思っている『やさしい』は、内容が違うこともしばしばだ。
そしてそのことに気づいてしまい、何かしらの変化が自分の中で起こったとき、
これまた他人の評価は思いもしなかった言葉で表現されることになる。
まあつまり、主はあまり気にせず自然に振舞っておけばいいのだろうと思う。
お幸せに。
2年付き合った彼女と結婚するため、親同士の面合わせをしたとき、うちの母親に「この子は昔から優しい子だった」と優しい子エピソードをいくつも持ち出してきた。はっきり言って、...
やさしいという評価ほど他人からしかつけられないものはないわけで。 自分でそれを評価しようとすれば、例えばそれは『甘い』という言葉になったりもする。 基本的に他人からの評...
隣人は”やさしさ”は”やらしさ”だと言う 意外と真理だと思う