というか、松本清張の小説は大好きで昔からよく読んでたけど
基本的に娯楽小説であって、深い部分はほとんどないんだよね。
それなのに、ドラマ化とか映画化するに当たってなんか高尚なものにしようとして
結果として成功したり失敗したりしてる気がする。
日本の黒い霧とかそれ系のドキュメンタリー系松本清張を好きな人が
娯楽小説作品を無理矢理そっち方面に深読みして妄想してるなぁ、ってのがよくある。
Permalink | 記事への反応(1) | 16:29
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「深い部分」ってどういう意味かな。文学的ということか、あるいは社会派ってことなのか。 松本清張は、まあ、社会派だからな。ミステリ界の司馬遼太郎的ポジションというか。