成果物を参照して知性を評価するのが普通である。 だが、知性は微分。 制作過程の中にこそ宿る。 なのに実社会では成果物で評価される。 ここに実力と評価の間のズレが生じている。
成果物で評価するのは知性でなく実力 知性はあるが実力が伴わない理由もそれ。
「努力」という言葉を使っていないから共感した。
構成力(知識力や技術力やセンス) + 知性 = 青果物
センスと知性だけで何か生み出せるなら苦労しないんだがな
足りないものがあるとするなら、肉体の「力」だよね。
宗教的強迫観念に近いpassionだろう。