二つのことがごっちゃになってると思う。
1、処女、もしくは処女専男に対する評価(きもいとか当然とかなんとかかんとか)
2、発生の仕組み(劣等感だ自信だ、いや本能だうんぬんかんぬん)
ここで1と2をごっちゃにすべきではないと思うんだ。
そして考える手順、話し合う手順としてはまず2。現象に対する価値判断を一切挟まない2。そして2についてそれなりに穴の少ない仮定モデルを構築したら、
今度はそれについての1。つまりきもいとかきもくないとかなんとかかんとか。
そして3として、どうして1のように思うのか? どういう構造なのか? というメタレベルで考えることができる。そういう価値判断をすることに何か性としてのメリットがあるんじゃないのか?という。