実は夏くらいまで、わりと真剣に死んじゃおうと思っていた。
死にたい、死のう、死ぬべきだの三段活用を経て、いつでも死ねる準備を整えた。
最後まで悩んだのは、首吊りにするか、飛び降りにするかだった。
本来は事故に見せかけて死ぬ方法をとりたかったが、生き残るリスクがあるので、あきらめた。
飛び降りにいいビルは見つけたが、首吊りにいい場所を見つけることができなかった。
高いビルを見ると、確実に死ねる高さかどうかだけが気になった。たしかビルの12階くらいの高さだと助かった事例はないらしい。
個人的には首吊りの方が他人を巻き込むリスクが少なくてよかったが、残念なことに、コンクリートジャングルには、いいスポットがなかった。
家の中で吊るのは、次に住む奴が困るだろうから、やめといた。
お札の張っている部屋に誰だって住みたくない。
生きて理由は、親戚の結婚式の前に、親族が自殺しちゃまずいだろJK…っていうただ一点だけだった。
まぁ、かくして結婚式が終わって生きている理由がなくなった。
同時になぜか、死のうという意識も消えた。
ただの気の迷いだったのかもしれないし、本当に死ぬ気がなかったのかもしれない。
ただ、感覚として残っているのが、今の人生、いや、今後の人生がオマケの人生なんだなぁってことだ。
オマケの人生になってから、なぜか自分のために何かをする気になれなくなった。
ただし、マッチ一本ぶんでも他人に意味のあることなら、何かができるようになった。
多分、先のある人になにかを残したいっていう感傷のせいかもしれない。
ん。
まぁ、あとは精々、オマケを楽しむことにする。
もしかしたら、オマケのほうが長いかもしれないし。ドラゴンボールみたいに。