「異性からの承認」とか「恋愛を通じた自己肯定」という概念は
モテ系の恋愛論にはまず出てこないのだが、こういう概念は非モテ特有の発想?
確かに、と思った。特有かどうかは分からないけれども、自分で思い返すと、いわゆる普通の恋愛論に対して感じる違和感はそこらへんにある。恋愛状態を自明視しすぎている、というか。そこをがんばって言葉にしてみたら、「自己肯定の欲求」「承認欲求」になったんじゃないかな。
幼少期の愛情の不足・・・とか愛された経験が・・・とか容易に展開できるのでキャッチーすぎるキーワードだと思うんだけども、それはさておき。
恋愛感情や行動を自明のものとして感じられるエッセイストとか、対象とする読者から、その辺の考え方が出てこないのは当然のような気もする。
モテ系の恋愛論は結局方法論なんだろーね。
実証主義のモテ系にとって、説明可能性は重要じゃない。理屈によっていかに現実がコントロールできるかだ、と思う。
「異性からの承認」とか「恋愛を通じた自己肯定」という概念は モテ系の恋愛論にはまず出てこないのだが、こういう概念は非モテ特有の発想?
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