空テレビはただ空だけを映し続けるテレビのことだ。空テレビには種類が幾つかあり、青空ばかりを映すもの、時折雲が通るもの、夕暮れ時しか映さないものなどがある。
空テレビの始まりは、空に囲いが出来た時だ。それまでは上空を見上げれば、いつでも空を見ることが出来た。
しかし、何かしらの災害が起きた時、街の住民は空に囲いを作ることを決定した。その囲いは今でも私たちの頭の上に張られている。
囲いは何時いかなる時も灰色を保ち、それを見る住人の心は落ち込んでいった。それまでは何気なく見ることの出来た空は、なくなったと同時にその価値を増した。
そこで、私たちの先祖の一人が空を映すテレビを作ることを提案したのだ。当初は囲いの外に機械を飛ばし、その映像を囲いに映し出す予定だった。
しかし、外から中継され、送られてきた映像はやはり灰色の空だった。災害によって本当の空までも灰色に染まっていたのだ。
多くの住民はそこで青空を諦めた。だが、偽の青空であっても見ていたいと願う者も少数ながら存在した。
彼らはまず四角い画面に青だけを映すことから始めた。最初の内はそれだけで、本物の空だと思うことが出来た。
そのうちに青空だけでなく、夕暮れや雨、夜や月を見たいと思うものが表れ始めた。その頃には、街の住民の多くが空テレビを受け入れ、楽しむようになっていた。
偽物だと否定する住人の方が少数派になっていた。例え、それが何であろうといい、と思う人間が大多数になっていたのだ。
ちょうどそこが転換点であり、そこから事実と虚構を区別する習慣はなくなっていたと言われている。
街角には一定区間毎にテレビが置かれ、建築物の多くには絵が描かれるようになった。テレビには空が映し出され、建物には今はなき動物たちが暮らしていた。
皮肉にも囲いがあるおかげで、街に雨が降ることはなくなっていた。テレビや壁画が壊れ消え去ることはなく、放っておけばいつまでも残った。
私たちが伝統として行っている配置換えも、この頃から行われるようになった。一年に一度住まいを変え、画面と壁画を一斉に変える行事である。
これは定期的に変化を受け入れることで災害の苦しみを忘れないという説と、環境に適応し、落ちつくことで苦しみを思い出すのを防ぐという説がある。
識者の見解では当時は後者が一般的だったが、世代が変わる内に前者の主張が取り入れられ出したのではないか、ということだ。
空テレビには一定の規格があり、同じ部品が使いまわせるよう、種別が厳格に定められている。
初期は画面以外は全く同じだったとされるが、現在では特定の映像を探す際の効率を上げるために、外形だけがバリエーションを持っている。
青空を映すテレビは青く塗られ、横長の長方形の形を持っている。雲を映すものは白く、雲の形をしている。
夕暮れや夜は具体的な形を持たないために、多くの議論が交わされたが、結局太陽の円と象徴として星の形が選ばれることとなった。