まぁ…程度の問題っていうのはそうだな、と思うんだけど。
欲望と意志というのは、ふと思いついたものなんで、あまり的確でなかったかもしれない。
もう少し掘り下げて考えてみるとさ、いわゆる「欲望を捨てたい」っていう気持ち
(こういうことを仏教とかキリスト教とかってきちんとした基礎の所で言ってるのかな?もし何か原典みたいのがあるなら知りたいのだけど)
ってすごく強烈だと思うんだよね。
実際に何か嫌なことを見聞きしたり、或いは自分でもやってしまって嫌悪感に駆られることもあるし、
特にこれといった理由もないのに、自分が生きてることがとても厭わしいことに思えてぎゅうっと小さくなってしまいたくなることもある。
で、一概に「欲望をなくす」って聞くと凄く純粋な気持ちのように感じられたりもするんだけど、でも待てよ、と。
そうやって何か欲望やらを汚らしがる気持ちだってやっぱり欲望のようなもの、何か似たようなものなんじゃないかって思うわけ。
そうなると、最初の何か清らかになろうとする?考えだって同じ穴のムジナじゃないか…。
で、またぞろ嫌悪感が湧き出してくるのね。
どうすればこれは消えるのかなぁ。
別にどこで聞いたとか何で読んだとかはっきりした原典みたいなものがあるわけではないんだけどさ よく「欲望を捨てる」とか言うじゃない? でさ、そこで気になるんだよ ひょっとした...
うーん、程度の問題じゃないの? 欲望っつったって広義では生命維持に必要な欲求も含まれる事になるんだし。 意思と欲望の違いは、線引きが微妙になるけど、 欲望、欲求(直接的な...
まぁ…程度の問題っていうのはそうだな、と思うんだけど。 欲望と意志というのは、ふと思いついたものなんで、あまり的確でなかったかもしれない。 もう少し掘り下げて考えてみると...