セクハラは相手を選ぶ
から連想したことだが、これってより正しくは「セクハラは関係を選ぶ」ではなかろうか。代表的な関係は2種、ひとつめはお互いに憎からず思っている関係であってまだどうにかなっていない間柄(どうにかなっていたらそれは単にイチャついてるだけである)、つまり恋人候補の薄まったような存在、ふたつめは広義の権力関係があってされる方が我慢している場合である。「広義」の権力関係というのは、雇用関係や師弟関係のような直接的な例だけでなく、同等の立場であっても一方の気の弱さなどから心理的な権力関係が成立するケースを含むための表現である。
さてふたつめは古典セクハラであって、これ以上解説の必要はないと思う。このタイプのセクハラに対しては世間が過剰反応したこともあって減っていて(少なくとも、多くの人の目に触れる形で行われるケースは減っていて)、近年目撃するのは主にひとつめのケースであろう。問題はここである。正確には、これはセクハラではない。ハラスメント(嫌がらせ)は成立していないからである。しかし、この手の関係というのは本人達にしか分からない微妙なものであり、第3者からは行為そのものしか見えない。同じ行為を俺がして何が悪いんだということになるだろう。そう思って行動すると、手痛いしっぺ返しに会うわけだが。。。
さて、ここまで読んで、それって「セクハラは相手を選ぶ」そのものじゃないか、関係なんて持ち出す必要ないだろ、と思った読者は多いのではないか。しかし有効な違いがひとつある。セクハラの基準が、人によって決まるのではなく、関係によって決まると考えることは、うっかりセクハラの地雷を踏んで人生を台無しにすることを予防する有効な手段である。世の中にセクハラ(行為)が許される人間やセクハラ(行為)を許す人間が単独で存在すると考えていると、あいつはセクハラ(行為)をしてもOKな男、こいつはこの程度のセクハラ(行為)ならOKな女と判断しがちなのだ。その結果調子に乗って地雷を踏んでしまったり、逆に警戒し過ぎてせっかくのサインにうまく応えられない事態が発生する。
せっかくだから繋げておく http://anond.hatelabo.jp/20080208145908