い・ら・ね・え・さ!みたいな事言う人がときたまいる
たとえば周りより背が高いことがアイデンティティの人なんていうのは、オランダなんかにいったらそのアイデンティティはもろくも崩れ去る。あるいは頭がいいことがアイデンティティの人はアメリカの大学へ留学して崩れ去るかもしれない。アイデンティティというのはそういう感じで、もろく危ういものだから、アイデンティティなんてなくそうぜ!いらねぇぜ!みたいな。
それって要するにアイデンティティを持っていると、いつかアイデンティティクライシスが起きる可能性があるから、捨てようぜ、って事に他ならない。なんかそれって本末転倒じゃないか?「いつか崩れるかもしれないから自分で先に壊しておこうぜ」ってことじゃないか?
それで、いつか崩れるかもしれない、なんて、そんなのは当たり前なのだ。崩れないものなどあるのか?ましてや人間のアイデンティティである。寧ろ崩れるのが当たり前である。
でもそれでいいんじゃないのか。崩れるから、それに振り回されて、ショック受けたり苦悩したりするのが嫌だからいっそ最初から苦悩する前に壊しちまえ、じゃなくてさ。崩れたら、苦悩して、また、再構築すればいいんちゃうの。ていうかそれしかないんちゃうの。結局アイデンティティなんていらないとかいってもいらないとかいるとかいう問題じゃなくて、アイデンティティは持たざるを得ないんじゃないかと思うんだよな。いらなくても持たざるを得ない、考えざるを得ない。だってアイデンティティが無い状態って自分がない状態だぜ?他の誰でもいいとかそういう状態だぜ?俺の代わりはたくさんいるもの……だぜ?「カテゴリーに囚われないぜ!」とかそういうレベルじゃない。それは単に「他者の区分けに拘らない」くらいの意味合いでしかなくてさ……(つってもそれも究極的には無理だと思うが……結局他者の介入ナシにアイデンティティは定義できん……)
なんかすげー今更か?
でもいいやかいておこ