2007-12-04

人の不幸は蜜の味。

あー、自分が嫌になる。

何て私は性格が悪いのだろう・・・と。

自分が幸せではないのに、人が幸せだとそれが妬ましい。

見ず知らずの人の幸せならばまだいい。

私にとって厄介な問題なのは顔見知りの幸せ

自分が不幸だから顔見知りの幸せが妬ましいのではない。

私は不幸ではない・・・と思っている。

ただ、今、幸せではないという事だ。

そして、今回の嫉妬の対象となる顔見知り・・・というのは顔見知りの度を越えている。

私が嫉妬しているのは、高校時代の友達だ。

友達の生い立ちは、聴けば涙する程のものだ。

だけど、友達が幸せな状況にいると何故だか嫌だ。

可哀想な立場にいる彼女が私は好きだ。

幸せというものは、自分と他人とを比べて感じるものではないという事ぐらい解っている。

でも。



友達は本当に良い人だ。

それこそ、可愛くて、頭も物凄く良くて、気が利く。

女の私が宗旨を忘れ、恋愛感情として、

彼女の心を独占したい・・・一時期好きになってしまっていた位だ。

でも。



友達の幸せが妬ましい。

友達が不幸になれば良いのにと思う。


こんな考えをするのは私くらいのものだろうか?

私の心が汚れているのだろうか?

  • 友達が幸福で自分が不幸だったら 自分が妬まない限り関係は続くけど 友達が不幸で自分が妬まれる側だったら 自分がどれだけその友達が好きでも、関係を切られる事があり得るぞ だか...

  • それは、大好きなあの人が他人のものになる(or自分のものにならない)ぐらいなら、不幸になって死んでしまえっていうのとは違うのだろうか。 もし、そうなら、いいか悪いかは別にして...

  • それは性欲すよ。酷い姿の彼女に欲情してるんすよ。サドの人としては自然な感情っす。 エロゲーでもやって気晴らしするっす。

  • あ!ケータイ小説家の人だ!

記事への反応(ブックマークコメント)

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