2007-11-05

今は充実しているとは言えないからいろいろ満たされていない。

だが、どんなに人と交わりやりがいある仕事をして日々充実しても、なにか肝心なものがわかっていないのではないか。いつまでも掴めないで、それだけは満たされないままなのではないか。

つまり存在していることの意味だ。

もしも充実した理想の日々をおくっていたとしたら、その疑問はふとしたときに、湧き起こったかと思うと一気にふくれあがって、俺の脳裏をうめるだろう。

今日も充実しているなと思ってプラットフォームからいつもの風景を何気なく見た瞬間などに、

「で、だから何なのだ、この人生は。俺や宇宙存在しているってことは、つまりなんなのだ」

という感覚言語よりも早く体中が感じ取る。

その不可解さに神秘的な恩寵をみて祈る人もいるのだろう。幸せなことだ。でも俺はそこに空虚さを感じてしまう。

今の俺が空虚さを感じたり、未来や理想的生活を想像してその中に空虚さの到来を描くのは、それは普通意味で日々が充実していないからだと疑うことはできて、とりあえず生き生きと生活ができるようになりたい。

でもこのままどんどん充実させていっても何か肝心なものが残ってしまうような気がしてならないのだ。不安である。

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