嫌だといっていいんだなあ
と気付いた
どうも、「このくらいで『嫌だ』とか『キツい』『辛い』とか言ってたらダメなんじゃないか、こんな程度で言ってたら後々どうするのか」とかいう思考が脳内を制して、ほとんど無意識に「嫌だ」「辛い」と思ってもそれを口に出したりはっきり思う前に即「そんなことはない」「この程度でそんな」「そんな贅沢は言ってはならない」と打ち消し奥に追いやろうとしてしまう傾向がある事に気付いた。
しかしとある知り合いが、ちょっとくらいの事で嫌だと正直に素直に言っているのを見てふっと気付いた
嫌な事は嫌だといえばいいのだ……
そういう人が何も耐え切れないかと言うと、見ていると割とそんなこともなく、嫌だといいながらなんだかんだやっていく。
寧ろ「嫌だ」ということで発散しているのか、本人が言うほど辛そうでも嫌そうでもない。
それを見て「自分はこの程度で嫌だといってはいけないなどと何を溜め込んでいたのだろうか」と気付いた
我慢すればするほどストレスを溜め込み、不快感がつのるだけだ。嫌だという感情にふたをしてなかったことにしようとするほうがストレスがたまる。あえて嫌だと宣言することでその感情と真っ向から立ち向かい「それでもやる」という姿勢こそが本来の前向きなのではないか……と。
私は変なところで妙に我慢する癖がある。よくないのだなぁ。これは。
しかし「いやだーいやだー」と思いながら作業をすれば、よりつまらなくなる、という面もある。
作業をする時まで引き摺りすぎてはいけない。ただダラダラと嫌だ辛いというのはそれはそれでマイナス。
自分の負の感情は我慢してためこむのはよくないがずっとそれをいい続けるのもよくない
一度発散した上でそれを真正面から受け止め、作業時には「嫌だけどまぁ、がんばるか」「こうこうこう工夫して嫌でなくなるようにしよう」などの前向きな態度でというのが好ましいのだろう
知り合いを見てふっとそう感じた午後であった