「魚心あれば水心」みたいな一般的なことわざは誰が言おうとどこに書いてあろうとその言葉自体の価値は失われないと思うのだが、増田に書いてある文章は「増田が言った」ことに何か価値を見い出しているのかもしれない。もちろん、全部が全部というわけではないが。
俺が心の拠り所にしていたあの文章もコピペだったわけか。 さて死ぬか。
「魚心あれば水心」みたいな一般的なことわざは誰が言おうとどこに書いてあろうとその言葉自体の価値は失われないと思うのだが、増田に書いてある文章は「増田が言った」ことに何か...
それはないのは明らか。
言葉を発した人と、今同時にネットのどこかでつながっていると、 そういうのが、だいじなのかも。
さようなりー