たとえばさ、くそつまんねー映画とか見てさ、
「あー、あそこ、こーすればおもしれーのに」とか「なんで、このキャスティングなんだよ!」とかいろいろ思うわけですよ。
だけど、いくら「思った」ところで、その映画は一切変わらないわけですよ。
誰かにそれを訴えたところで、訴えられた人は何もしない。もちろん映画は変わらない。
で、どーすりゃいいか?って話になると、それはもう、「自分でおもしれー映画作って、それを見る」しかないわけ。
おーけー?
幸いなことに、その映画の監督であり、主演であり、脚本であり、プロデューサーであり、
アシスタントであり、観客であるのも「自分」なわけ。
もし、今の自分が嫌いだったら、
ハイ、そこで頭の中にスクリーンを描いて、そこに「自分のことが嫌いな主人公」を写してみる。
観客である自分は、この「自分のことが嫌いな主人公」がどうすれば、このストーリーがおもしろいと感じるか。
ハイ、そこで頭の中に撮影現場を描いて、監督(脚本家)になってみよう。
そのために必要な道具ある?誰と絡ませる?
ハイ、そこで大道具、小道具さんになってみよう。
監督から言われたその道具、どうやって手にいれる?作る?買ってくる?
監督から言われたその役者、どこから連れてくる?どこにいる?
誰に言えば、その役者に出演依頼できる?どう頼めば出演してくれる?
ハイ、そこでプロデューサーになってみよう。
大道具さんから、こんなのが必要なんで予算下さい、って言われた。
どこからお金工面する?その時、誰にどんな風に頼む?
自分のポケットマネー?そのポケットマネーはどこから?降ってはこないから、アルバイト?
などなど、それぞれの役職を自分でやれば、おもしれー映画が手にはいるだろ?
死ぬまで、ずーっと続くストーリーだ。大概の苦労、イベントは、ラストシーンへの伏線だ。
その伏線を回収できなかったら、つまんねーだろうね。どーすれば、観客は納得するかね?
監督の腕の見せどころだよぃ。
あー、もちろん、うじうじした主人公がそのまま死んでくのも、脚本としてはアリだけど、
それを観客である自分が「おもしれー」と思えるかだよねぇ。
と、子供に教えることにした。
だから俺の人生はピンチに陥ってばっかりなんですね。 ハッピーエンドだといいな><
つ 山崎晃嗣「人生は劇場だ。僕はそこで脚本を書き、演出し、主役を演ずる」