「ああ、あの時ああしてればな」と軽く思うくらいはあるけど、
それを「あああの時ああしてなかった俺のバカ。バカ。氏ね。マジバカだ」
とは思わないな。それこそ若い頃は、そういう考えもあったけど。
結局、「その時はそうとしかしようがなかった」んだよ
今から過去を振り返れば、選択肢がたくさんあったように思うけど、それが誤りであって。
たくさんの選択肢から、アホな選択肢を選んでしまったと今の自分から過去の自分を見ると思う事があったりもするけどそれは間違いで、あの時はその選択肢しかなかった。それしかなかった。「他の選択肢を選べたかもしれない自分」というのは存在しない。それはもうほとんど、「俺がタイソン・ゲイだったらなあ」と言ってるに等しい事なんだ。現時点で過去を振り返るという荒業をしているからこそ、その「本当はなかったはずの選択肢」が見えるだけなんだ。当時には見えていないも同然だったし、それが、自分だった。
仕方ないのだ。最初から自分の能力値や何やらを完全に把握して、漏れもなく完全にベストな選択肢を選ぶ人生など、そんなもの想定する方がおかしいのだ。そんな事は、麻雀が終わった後に、残りの牌や他人の手を見て、「ああ、こうすればよかった」なんていっているようなもので、こうすればよかったなんていってもその当時には「こうすればいい」という事を知りようがないのだから、無意味なのだ。いわば神の視点。そんなところから見ている時点で後悔も何もない。そんな神の視点になれる「今の自分」を作り出したのは、間違いなく過去失敗してきたかもしれない自分なのだから。
人間の価値は、内面の成熟と社会でのステータスだということが思い知らされてきて 結局、若い頃から勉強してステップを積み重ねてきてる奴が真の勝ち組なんだと分か ってきて、「先...
「ああ、あの時ああしてればな」と軽く思うくらいはあるけど、 それを「あああの時ああしてなかった俺のバカ。バカ。氏ね。マジバカだ」 とは思わないな。それこそ若い頃は、そうい...
他人からみた価値(ステータス)が、自分の価値であるという考えが、成熟なのかどうか…