その帰り、虚脱感と闘いながら若者に混じり安いメシを食っていたら、周りにいる女の顔がすべて
奥村チヨとか渥美マリとか、昭和からタイムスリップしてきた人間の顔のように見えてきて、
一瞬自分の頭がおかしくなったのかと思った。
帰りの井の頭線の車内ではそれがさらにひどくなり、今度は風景がすべて昔の映像のように目に映る。
ブラウン管の画面を見ているようだ。
2007年に撮影された光景は、2037年にはこういう風に映るんだろうな、とぼんやり思った。
そして向かいの席に座っている、疲れた50くらいのおっさんを見ると、おっさんが25くらいの時の姿が
目の前に浮かんでくる。
このオッサン、ぎょろっと目をむく癖は若い時から変わってないな。
隣りの小ぎれいなハタチくらいの女の子を見ると、彼女が50過ぎた時の姿がリアルに見える。
彼女は幾つになっても髪だけは綺麗だ。
その奇妙な時空の歪みを覗いていると、目に映る人間すべてが、愛おしいものに思えてくる。
彼らの一つ一つの人生は、それぞれに美しく定められたものなのだと理解できる。
人は皆、今という時間にいっとき間借りして生きている。
ほんの一瞬だけ、彼らに接することのできる自分が今ここにいるんだ。