というのであれば、同様に宗教も妄想でないかどうか疑問だし、歴史も妄想でないかどうか疑問になってしまうよ。宗教も歴史も、何の根拠も無しに確実なものとして使って良いというのなら、「見ている現実」を確実なものとしてはいけない理由もまた無くなる。
「見ている現実」というのを一度限りの幻覚などの類を考慮して使っているのだとすれば、確かに信用のおけないものだけれども、現代社会には宗教よりももっと有用なツールとして科学がある。これは普通、ひたすら後付けと現実否定を繰り返す(ことがある)宗教と違って、状況変数が一定であれば再現可能であるようなツールだから、偶然的な幻視を除外できる。だから、見ている現実が科学に準じるものであればそれを現実と考えれば良い。
あと、宗教の「宇宙の誕生以前」は、少なくともキリスト教とかだと、神とか創造者っていう更に大きな謎があるのにそれに無意識にベール被せてしまってるだけなので、それに気付いてしまうと、もっと深く悩まされることになる。
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現代社会には宗教よりももっと有用なツールとして科学がある。 伝統的には哲学がこういうツールとして使われており 宗教との関係に関しても経験が蓄積されているのですが、 なん...
哲学ブームや宗教ブームに辟易してる専門家さんにはたまに会うけど いま科学がブームって社会認知をする人は珍しい気がする
後の科学教である。