■素敵な美意識
よくぞ、ああも他人のことを好き勝手に書いておきながら、自分が同じように扱われるとことさら大袈裟に痛がって見せる、その姿はただただ醜悪というしかない。
自身が殴られて大袈裟に痛がって見せるその姿はただただ醜悪だが、殴ったという事実を「事実」として認められるようになったようだ。先日までは「事実」でなく勝手な「解釈」だったはずなのだから、一歩前進したと言える。
僕は殴る、だが君は殴ってはいけない、という美学の持ち主である。だが殴ったという「事実」はないことになっている。
づらす。
「真に「美しくない」者ほど、虚な「美しさ」を唱えるのか」と言う者ほど虚ろな「美しさ」を唱えるのか。笑
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