一人称の話である。
小学校低学年ぐらいまでは僕だった。手をつけられないガキでもなく、中の上くらいの比較的豊かな家庭で、いやいや習い事のピアノをやっているような子供だった。
給食とドッチボールに飽き、消極的な性の目覚め?くらいで僕は俺になった。それは男子が皆、使い始めたからだろう。なんとも主体性のない僕だが、俺は妙にいい気になった。特に女の子の前では異常なほど俺だった。
この頃でよく覚えているのは林間学校の時の皆でカレー作って、食べた時の事だ。付け合わせのサラダの上のハムを食べた時、僕はまっ先に「コレまずいよ!」と叫んだ。鬼の首を取ったような勢いで言ってやった。
しかし、皆は顔を見合せ、不可解な顔をする。「え…あれ?」口ごもる俺。「そんなことなくない?○○(僕の事)って家でいいもの食べてるから、そう感じるんじゃない?」とちょっと気になっていた女の子に言われた。多分、その後の女の子に振られた経験よりも、すっごいショックだった。味とかもう、どうでもよかった。
家に帰り、すぐに僕は親に「うちの家庭のランク」についてそれとなく探りを入れたような気がするが、今となっては何を言われたか覚えていないし、その頃の僕には何を言われても分かる事もなかったろう。
その後、中学、高校、大学と俺が定着する。子供の頃のような僕と俺をめぐる話はない。俺は少々捻くれていたが、概ね健康だったから、良しとしている。
就職活動を迎え、俺はついに私になった。大手町や新宿、品川のビルの前に立つだけで、ロープレの主人公になったような気分で(あんまり都内で遊ばなかったので…)地に足がつかない感覚のまま、会社説明会に走り回った。私は御社で自己実現のオンパレード。演じる僕に私は似合わないスーツで蓋をした。
内定をもらう頃、ああ、私は僕ではなくてもいいんだな、と思いつつ、使い古した自己PRのドラフトを捨てた気がする。それなりに演じきれた僕は軽く社会をなめてたかな。
そして就職。平たく言えば、広告の営業になった。新規顧客の開拓でバシバシテレアポをする。当初何度か「ぼ…私、○○の○○です」となったのを覚えている。ビビってもいたが、そんなに苦でもなかった。数カ月すれば「立石に水(※追記 立て板に水 でした…はずいw)」のトークになり、それなりに売れて行く。それほど怖い事は社会には今のところない。
そして、もう3年。
結局のところ私は18時(正確に言えば20時くらいまでか?)まで。その後はもう私でも俺でもなくて、僕でもなかった。あんまり自分の事を話さなくなった。色んな事があったが、もう自分は誰でもいいと思っている。何となく寂しいまま、毎日が回って行く。
…何か書いてて、おなか減ってきたな。帰ったらハムでも食うかな。
立て板に水、しか聞いたことがない。
噴いちゃったよw
石を一点だけで絶妙なバランスで積み上げたやつに水をかける様を 連想してしまった。 意味は 「微妙なものに余計なことをすること」 ってなところかw