問いを出すだけで答えを出さないブログを見たときの不快感に似た感情は、恐らく、「こいつメタに立ちやがって」とかそういうのに似た感情であるような気がした。メタな姿勢だけでそこから深めていこうという気概がない、ということを行為的に示唆してしまっている、というように読み取ってしまうのだろう。
だったら答えを出すことへの試行錯誤に俺は好感を抱くのだろうか。そういえばそうかもしれない。
ただ、問いだけのところに限って言い訳はうまいものだから、どうして問いを出すだけなのか、というのも書いていて、それがいちいち気に障るのだが、それはきっと自分の心が狭いせいだ。
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