2007-02-22

人形の作り方

昼も夜もない白い空間で私は過ごす。一日を?一年を?一生を?時間はとうにわからない。もう何十年も経っている気もするし、何年かしか経っていない気もする。夜に寝て、朝に起きるなんて習慣も、もうなく、気づいたら起き、気づいたら寝ている。そして、時々こうして考える時があるだけだ。

食事は腕から点滴で、排泄は尿道にささったカテーテルで済ませているらしい。なぜ、らしい、なのかと言うと私にはそれが刺さっているかどうかわからないからだ。体の感覚はすでにない。だから、正確に言えば体が本当にあるのかさえ、わからない。あるのはただただ白い空間と、こうして考えてる私だけ。だから私が考えていない時、ここには何もないのかもしれない。もし、あるとするならば、ただただ白い空間に、出来損ないの人形があるだけだろう。時より考える、出来損ないの人形が。

そういえば、いつから人形のようになったのだろうか。私は回顧する。

ある日突然、私は全身麻痺になった。理由はもう思い出せない。そしてここに連れてこられた。この白い空間に。初めはまだ昼も夜もあったし、私は人間だった。ただ全身麻痺した人間だった。しかし、しばらくすると、それもぐらついてきた。それ以前は食事や排泄など、煩わしいだけだと思っていた。面倒なだけだと。しかし、いざ、食事や排泄をする必要がなくなってみるとどうだ。今まで持っていた多くのものがぐらつきだしたのだ。点滴は一定速度で落ちてくる。故に満腹もなければ空腹もない。ずっと同じ状態だ。しかも自らが咀嚼して嚥下するのではない。ただただ機械的に、ぽたり、ぽたりと落ちてくる点滴によってだ。自分ではどうにもならないそれによって、私は常に保たれる。満腹も、空腹もない状態を。そして私の命を。

排泄も初めは抵抗があった。しかし、すぐにそれは意味のないことだと知らされる。なぜなら何もないのだ。自ら排泄していた頃ならば、自らがコントロールできたそれが。全く、何も。だから、私はいつ排泄されたのかもわからない。感覚がないのだ。気がついたら排泄されていて、カテーテルを通して、尿バッグへと溜まっている。点滴と同じように。ぼたり、ぼたりと。

この頃から私は揺らぎ始めた。自分が。身体が。私は点滴によって生かされる。私の意思とは何ら関係のない点滴によって。そして点滴は私の体を通り、排泄される。これも私の意思とは何ら関係がなく、機械的に。自動的に。これを生きていると言えるのだろうか。私の身体だと言えるのだろうか。私はそのように考えるようになった。

そして何もない日々が止めであった。何ら変わることもなく、白い空間で点滴とカテーテルとの管となって、私の意思とは関係なく、ただただ生かされる日々。何日も、何年も、何十年も。私は生かされ続け、殺され続けた。

この考えも何度目、何十度目、何百度目、何千度目だろう。数え切れないし、数えられない。時間の感覚も、変化もないんだから。他のことはもう思い出せない。このことだけしか、人形の作り方だけしか私には思い出せない。

そして―それももう―終わりが近い――だろう。もう擦り切れ――だ。後――最後の一行程で―――完成――――だ―――――から――――――

そして人形ができあがった。もう考えることのない、完全な人形が。

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