一部のエロゲーが恋愛、単純に人と付き合うことと言ってもいい、の経験値がないか、まだ低い人間に、疑似恋愛環境を提供する。それは、エロゲー史において、ひとつのエポックメイキングであった。
性欲を処理するための抜きゲーとは異なり、そこには作品としてのストーリー性やドラマがある。
泣けるエロゲー(以下、泣きゲー)というゲームの総体が、ある文学作品と同等もしくは文学という集合から醸し出されるある種の崇高さや人間を描くことに伴う感動を普遍的に所有しているのではなく、ある泣きゲーがそのような属性をたまたま獲得し得たという結果論である。
つまり、泣きゲーを論じようとする我々に必要なのは、泣きゲーというエロゲーの部分集合の総合的なイメージを定義づけようとするのではなく、個々の泣きゲーについて、どこが感動に値し、それは既存の文学作品のどの部分と共鳴しているのかを言語化しなければならないということである。その比較において、感動の定量化は机上の空論でしかなく、なしえたと書き手が思ったとしてもそれは的を射ないメタファーであろう。