よく「○○のおかげで報われない、あるいは不条理な思いをしている」と嘆く人間がいるが、その○○すら報われない日々を過ごしていることが考えられる。「○○のおかげで報われない日々を過ごしている」人間も、「××に報われない思いを与えた」人間もそれぞれの不条理、言い換えれば地獄を抱えている。
ニートとして生きるも、勝ち組として生きるも、ダマされる方として生きるも、ダマす方として生きるも、加害者として生きるも、被害者として生きるも、それぞれの地獄を生きていることに他ならない。そしてそれぞれの地獄を生きている人間に、他の人間の地獄は普通見えない。それぞれの地獄を生き抜くのにいっぱいいっぱいだし、知らない方が幸せだと思ってしまうのが人間というものなのだろう。
できれば他人の地獄なんて見たくない。自分の地獄だって見たくないのに。どうせ見るんなら自分の地獄だけにして欲しい。しかし他人の地獄は時に自分の地獄へ干渉する。それによって加速する自分の地獄。あるいは他人の地獄。
しかし、他人の地獄を知らなすぎるのも、あるいは意図的に無視することもまた一つの地獄を生み出す罪なのではないだろうか。もしかしたら自分の地獄にしか向き合えない事も、一つの地獄なのかも知れない。
そして唯一はっきり言えることがある。自分にはもうわからない。自分の地獄の重大さと他人の地獄の重大さを秤に掛けることができるのか。自分の地獄を持って他人の地獄を裁くことができるのか。そう考えると自分にはもう何もできない。こんなありきたりなことしか書けないのであれば、他人の地獄に触れ続けるしかないのだろうか。
自分の地獄からは逃れることが出来ない。 なのに、人はそれから逃れようとする。 そして、他人を地獄に引きずり込もうとする。 それは、ただただ地獄を再生産するとわかっていても。...