亀田興毅「納豆は全然悪くないのにかわいそうや。おれも何もしていないのに、悪く書かれたことがあるからな」
人が納豆を食うのは先人が積み重ねた経験により納豆が人間に適していることを知っているからである。科学的分析は後付けに過ぎない。
伝統宗教も同様で、キリストやブッダがどんな人だったかは知らないけど彼等の教えに関わって生きた膨大な人々によって蓄積された経験知には明らかに価値がある。
人間の直接的な経験の蓄積が生きるための知識となる。神も納豆もそのような経験知の範疇である。
だがメディアは人々に擬似的な経験を供給する。偽物の経験である。テレビを見て人は何か経験的に知ったような気分になる。偽物の経験知がひろがってゆく。かくして納豆は売り切れ亀田は試合に勝利する。
科学の場所だけがない。