頭で理解していても信じてない、脳内での再生にリアルさが欠ける。
そんな事柄がゴマンとある。
体験は脳内での再生に必要なリソースだ。
それなしに真実を語ろうとしても、うわべだけの表現になってしまう。
頭の中でリアルでない。リアルでないことは信じられない。
信じるために試さないといけない。
でも試したら壊れてしまうかもしれない。
今までに壊してきたものが僕の隅で影を落とす。
これ以上絶対に何も壊してはいけない。
だからもう、一歩も進むことができない。
生きる力が失われていくような錯覚に囚われる。
存在しているだけで苦痛になる。
どこかで論理展開を間違っているだろうか。
どこかでおかしな前提を設定しているだろうか。
はちゃめちゃな思考がおかしな結論を導き出しているのかもしれない。
正しさを求めたとき、正確な解の出ない問題を前にしてたじろいでしまう。
私のやることなすこと全てがどこかおかしいに違いない。
そう、全てがおかしいのだ。
体がだるい。やる気出ない。
かつての自分はやる気に満ち溢れていた。そして今は振り絞れない。
精神論が役に立たないということを今になって実感し、信じることができた。
いや、信じなければ自分を責め続けるだけの毎日になるのが見えていた。
それだけは耐えられなかった。
だから必死で自分を正当化することにした。
何日も閉じたカーテンの向こうから冷ややかな風と光が差し込んでくる。
もう秋が来たようだ。
過ぎていく時間は空白の日々。
これ以上僕は前に進めそうに無い。
何かを傷つけずに対価を得ようだなんて傲慢だとは思わないか?
対価を得る為に何かを傷つけるなんて傲慢だとは思わないか? ってーか、対価のイミ間違ってね? 対価払ってるなら他に何かを傷つける必要なんてねーじゃん それとも「何かを傷つ...
ってーか、対価のイミ間違ってね? 対価払ってるなら他に何かを傷つける必要なんてねーじゃん 「対価を得る」って言ってるんだから元増田が受取る報酬という意味だろ。 てゆー...
先鋭化を競うチキンレースみたいなものを止める必要があるのかね。