先日、帰化して日本人になった。
苗字が変わった。全から木村へ変わった。
でも、名前はそのまま。
私の祖父はいわゆる在日一世で、戦時中に日本に渡ってきた。
そして、日本人である祖母と結婚し、私の父が生まれた。
そして、私の父は岩手出身の母と結婚し、私が生まれた。
端的に行ってしまえば、クォーター。
木村は、私の母の苗字だ。
帰化する時に悩んだのは名前の事。
生まれた時からずっと韓国名で通してきた。
25年間そうだったから、名前はそのままで良いと思っていた。
けれども、母親が反対した。
どうせ日本の苗字にするなら、名前も日本人のようにすれば良いと。
でも、私にとってこの名前は私の一部であって私から切り離せない大切な名前だったのでそれだけは譲れなかった。
結局、最後は母親が折れた。
名付け親は父親で、三ヶ月悩んで悩んで、名付けたという事を聞いた事がある。
母親だってそれを知っていたにもかかわらず、日本名にした方が便利だからという理由で、私に名を変えろと何度も言ってきた。
そんな単純な理由では、私は納得出来なかった。
友人で同じように日本人に帰化しながら、苗字も名前も変えていない人が居る。
友人曰く、「俺のアイデンティティだから」
だから、苗字や名前を変える意味が分からないと主張していた。
私はその事にすごく共感できた。
この名前に愛着があるし、今さら別の名前で呼ばれるのにも抵抗がある。
苗字は正直どうでも良い。どうせ、どこかで変わる事になるのだから。
でも、名前だけは変えられない。
それを母親に主張した。
多分、母親は納得していないと思う。でも、私の決意が固い事に気がついているから、諦めたんだろう。
こうやって、自己を主張するのは間違っているのかとちょっと悩んでいたりする。
職場ではニックネームで呼ばれているので、苗字が変わったところで特に影響はない。
それこそ、結婚して苗字が変わりましたというのと同じノリだ。
私は、韓国という国が嫌い。
その血が流れている事に嫌悪感すら感じる。
日本が好きだし、日本語という美しい言葉が好きだし、日本人が好きだ。
でも、名前だけはどうしても譲れなかった。
これは、韓国への愛国心だと捉えられたらすごく嫌だと思うから、こんな文章を書き綴ってしまった。
名前を変えなかったのは、まずかったのだろうか。
日本が好きなら、名前まで変えたほうが良かったのだろうか。
でも、そこまでしたら自分が自分で無くなってしまうような気がして、怖かった。
私の選択は、正しかったんだと今は自分に言い聞かせている。
もう、変えられないし。
私は名前を変える(恐らく)唯一のチャンスを失ったのかもしれない。
なんだか、こんな事を考えてる私は、馬鹿なのかな。
いっときますけど、親子同士でも血はつながってませんよ。つながってるのは遺伝子です。国ならなおさらつながっていない。 しかし、君が韓国を嫌っているのは日本社会のせいでもあ...
名前を変えなかったのは、まずかったのだろうか。 日本が好きなら、名前まで変えたほうが良かったのだろうか。 名前を変えるのは犯罪を犯す度に通い名を変える連中を思い出すか...
自分で決めるチャンスなんだから、決断信じていいんじゃないかなぁ。 多分、母親は納得していないと思う。でも、私の決意が固い事に気がついているから、諦めたんだろう。 こうや...
名前を変えなかったことが、君にとって良いバランス感覚になると思うよ。 日本にようこそおかえりなさい。