2008-03-13

人は死ぬ直前「初恋の人」がよぎるか

絶命する瞬間じぶんはどのようなことを思いどのようなことを感じているかというのを考える。

以前車に引かれかけたとき少し肝が冷えたのは覚えているのだが、何を思ったかは覚えていない。

部屋で転び倒れかけた場所にとがった物体があったときなども肝が冷えはしたが何を思ったかは覚えていない。

何も考えていなかったかもしれない。もしくはその寸前のみ無心でいたのかもしれない。

走馬灯という現象はフィクションの中や伝聞情報において見かけるが体験した覚えはとんとない。

これまでの人生を振り返ることなどこれまでの危機的状況においては対峙したことなどない。

大切なものを思い起こして死ぬんじゃないかと思いはするが自己の体験においてはまさしく無心なのだ。

もし死ぬ瞬間頭の中は空っぽであったなら死は恐れることでのみ恐怖の存在なのではないか。

死ぬことについての格言やらの受け売りだけど、死ぬこと想像することによってのみ恐怖足りうるのだろう。

だけどちょっと待てよ。死ぬ瞬間何も考えないのは寂しくないか?

大切なものすらどこか彼方にすっ飛んで無心で死ぬなんてもったいないだろ。

そう考えて僕は思った。

「せめて好きだった子くらい思い出しておきたいよなあ」

いま隕石が降り注いだなら僕は思い出に浸りつつ逝けるだろう。

死ぬ寸前僕はその考えを巡らし結論にたどり着いたとき足元が。ふわっと。意識がとんだ。

あとのフェスティバルだ。ルー大柴がまぶたの裏で微笑んでいた。

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