一旦述べられた「主張」は、最早それを述べた人間とは何の関係もない
述べた人間がどうであろうが、どうであることが判明しようが、
主張は主張で代わりはない。述べた人間がどういう性格だと判明しようが主張の妥当性が変わるわけではない。
そう言う意味で主張と人間には関係が無い。という意味。わざわざ説明せずとも自明の理だとは思うが。
主張から逆算して、「何故こんな主張を彼彼女は述べたのか?」→「それは彼彼女がこういう性格だからではないか?このくらい品格がないからではないか?」という因果関係をそこに見出せる可能性はゼロじゃないが、一旦述べられた主張はもうそれ単体で妥当性・真偽が測られるものであり、そこにそれを述べた人間がどうであるなどということは関係が無いという意味。
外見で判断するの反対!といってる人の中身が優れていないからといっても その主張が妥当か否かには何の関係もないが。
中身が優れてない人は品性とか知識に劣るんだから主張も妥当でない可能性は高いと思うが。
そういう因果関係ならあるけどそういう意味じゃなくて 一旦述べられた「主張」は、最早それを述べた人間とは何の関係もない 述べた人間がどうであろうが、どうであることが判明しよ...
客観的事実についての真偽ならそうなんだろうが、主観的な価値判断の是非についての場合は当てはまらないだろ。
いや別に俺が言いたいのは 「お前の夢がかなったとしても(おそらく)お前自身は中身が優れているわけじゃないから相変わらず評価はされないよ」 ということだけ。
いや別に俺が言いたいのは 「お前の夢がかなったとしても(おそらく)お前自身は中身が優れているわけじゃないから相変わらず評価はされないよ」 ということだけ。