今の世の中がもしかしたら少しだけ良くなっていたんじゃないか?と思うことがある。
ドラゴンボールには優しさが一切ない、と言いきったら反論が山のように来るだろうけれどそれでも優しさってものがあまりに描かれていない。
まずドラゴンボールの作中で描かれる優しさって言えばピッコロさんが悟飯を救うシーン。あれには感動した人も多いはず。
だけどあのシーンって話を盛り上げるためだけのものだよ。面白くするためだけのものだよ。
読者はストーリーの流れの中であのシーンを読んで、そして立ち止まることなく次のページに進んでいく。ピッコロやさしー!おもしれー!と思いながらページをめくる。
そこで人の機微を感じることがない。心を立ち止まらせることがない。
そこにあるのは「悪人の人助け、その結果の死」って言う予定調和しかない。
そういうものを読んだらそれはオートマティックに涙が出てくるよ。あとには残らないけれど。
次に思い浮かぶのが孫悟空がフリーザにトドメをささないそのシーン。
あれは「悟空がフリーザを見逃す→フリーザがそこで更に悟空を攻撃する」このストーリー展開のためだけ、読者をワクワクさせるためだけに描いている。
そこには思いやりの大切さや思いやりの素晴らしさなんてものが全く描かれていない。あの悟空の優しさにどれだけの読者が何かを感じるんだろう?
とにかくドラゴンボールには優しさが足りない。それ故に娯楽として圧倒的に面白い。だけどそこで鳥山明がもう少しだけ読者にやさしさを伝えようとしたら。
もう少しだけ人の心の機微を描こうとしていたら。そしたら今の世界は少しだけ優しくなったんじゃないだろうか。
下の悟空のセリフ思い出した。 「殺されたみんなや破壊された地上はドラゴンボールでもとにもどれるんだ。気にすんな」 http://deztec.jp/x/02/tiyu/n0207.html
俺の中であれはアリだと思うけどな。みんな一瞬で死ぬから死の恐怖を味わうわけでもないし。
漫画で形成されるやさしさなんて漫画で覆るよ。 漫画なんかで世の中変わるなんて、人を馬鹿にした話だし漫画を買いかぶりすぎてるよ。 そんで、矛盾した話かもしれないけど、そん...
漫画で敷衍される優しさは漫画で変わる。だから優しい漫画が多ければ世の中は少し優しくなるかもしれない。 それが正しいかどうかは別としても揺れ動きやすい価値観だから意味がな...
エンターテイメントに何を求めてるの? そんなに世の中を優しくしたきゃ、聖書を配って歩けよ。
別に「だからドラゴンボールは悪い」なんて言ってないよ。 ところで聖書って読んだら優しくなれるの?
なんとなくドラゴンボール(Zあたりのバトルインフレ始まったあたり)が全盛期だった頃 クラスの男子が「修行」と称していじめをやっていたのを思い出した。 今やってたら怪しい宗教...
そこら辺は「バトル漫画」ってジャンル故のものでドラゴンボールの中に何かしらの機微があっても変わらなかった気がしないでもない。