2007-06-29

http://anond.hatelabo.jp/20070627235403

死んでも影響がない、などいうことはない。

君が死んだら、どこかの誰かが死体という物体になった君を発見し、処理する。

発見が遅ければ君の体内には確実にガスが充満し膨張し腐乱し虫が湧くし、

発見が早くても君の選択次第ではすでに目を覆わずにいられない状態かもしれない。

それを目にした者の以降の人生に何も変化がないと、どうして君は言い切れるだろう。

そして君の家族や親戚のうちの誰かが、葬儀の準備をする。

葬儀には金も手間もかかる。60万から100万くらいはかかるだろう。

無縁仏として埋葬するにも20万ほどかかるのだ(無論これは行政が払う)。

あえて死を選択しない理由は、金と面倒。

君に充分な蓄えがあるなら、生前に葬儀に関する一切の手続きを済ませる事も出来る。

もっとも、死んでしまえばこっちのものとも言える。

死人に銭金の催促はできないし、死んだ者を弔うのは生きている者の仕事だから。

死について観念的に考えるのは悪いことではない。だが、それだけでは片手落ちだ。

死ぬことで物質としての肉体がどうなるのか。血縁者はそれをどう処理するのか。

具体的・現実的・即物的に探ってみれば良い。

  • http://anond.hatelabo.jp/20070629032346 この手の話を見かけるたびに「誰にも関係なく自殺するにはどうしたらいいのだろう」と考える。サハラ砂漠やシベリアや紛争地帯のど真中で死ねば遺体が...

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