反発、共感などはある程度予想ができる。予想してなくても予想していたよと笑って見せることができる。反応が「ある」ならばそれは観察できるから人は予測をすることができる。でも反応が「ない」場合は観察しようがないから予測ができない。それゆえに人は無関心を恐れる。とか思った。
はてぶやってて一度でもはてぶられたことがある人なら、「読まれてる」ということに喜んだことがあると思う。そこに反応が「ある」ことに喜んだことがあると思う。その反応にコメントがついてたりとかして、うわーとかあれーとかちがうんだけどなーとかそうそう!とかいろいろ思ったりとかするけど、でも反応があること自体がすごいうれしい。反応が「ある」なら、それを予想する楽しみ、予想からのずれを観察する楽しさがあるということを知るから。
でもそうするうちに反応が「ない」というのは楽しみが存在しないような気がしてくる。あらゆる反応は、こちらに見える限りは「ある」と認識できるけど、見えなくなったら「ない」ものだ。どんな予想も存在しないものに対しては比較しようがないから、いつまでたっても予想は予想のまま宙ぶらりんになる。よりどころがないということは不安である。それゆえに安定を求めるのである。すなわち反応を求めるのである。無関心=反応がないことを恐れるのである。
とかかくと反応を欲しがってるように見えてidがわかるところではかけないがやっぱり匿名でもかけないのかな。ものすごい反応欲しがってるくさい文章だ。あぁくさいくさい。
http://anond.hatelabo.jp/20070105193330 はてぶやってて一度でもはてぶられたことがある人なら、「読まれてる」ということに喜んだことがあると思う。そこに反応が「ある」ことに喜んだことが..