皆さん、これまでに一度は耳にしたことがあるでしょう、平原綾香の『Jupiter』。しかし、私がなぜこの曲を嫌うのか、その理由をここで明らかにしたいと思います。
まず、著作権の問題ではないことをお断りしておきます。
ホルストの木星がとっくのとうに著作権フリーであること、編曲についても何の問題もないことは承知しています。その上で批判していきます。
『Jupiter』の歌詞は、木星の壮大なメロディにJ-POPらしい歌詞を載せただけに過ぎません。
いくらメタファーをちりばめたとしても、根底にあるのはごくありふれた恋愛の物語。陳腐の一言。
組曲『惑星』自体の持つバックグラウンドや、『I Vow to Thee, My Country』、『Joybringer』といった過去につけられた歌詞を意識しているようには感じられません。
『木星』にもっと良い日本語歌詞を付けた歌が生まれることは、これから数十年無いでしょう。このことがとても悲しいです。
制作側の戦術みたいなものが透けて見えるのが嫌です。
芸能界へのデビュー作として、リスクもコストも低く、かつ確実に市場を捉える戦略の一環として、誰もが認めるクラシックの名曲が選ばれたのでしょう。
確かにこの企みは成功したようです。しかし残念ながら、『Jupiter』以降、彼女のヒット曲はほとんど存在しません。
デビューに至ったのは彼女個人の実力ではなく、『木星』の重力アシストを利用したことの証明とも言えるでしょう。
木星に恋愛歌詞をつけた例は既に存在しています。それも無数に。
Sarah Brightmanの『Running』を取り上げることにしましょう。この曲は、同じくホルストの『木星』をベースにしており、愛の歌であるという点で『Jupyter』と共通しています。
しかし、彼女はすでに実績を築いた歌手であり、アレンジにかなり独自性を出している点が平原綾香の『Jupiter』とは大きく異なります。
一番聴き心地良い箇所を単に抜粋して歌詞を載せただけではありません。
Runningがフライドチキンから油淋鶏を作り上げるようなものだとすれば、Jupyterはフライドチキンの衣だけ剥がし取って砂糖をまぶして鼻から吸うような所業だと言えるでしょう。
『Jupiter』は確かに耳に心地よい曲かもしれませんが、その裏にはクリエイティビティの欠如と、芸能市場を狙った計算高い戦略が見え隠れしています。
音楽とは、単なる商品ではなく、心を揺さぶる芸術でなければならない。『Jupiter』はその基準からは程遠い、私が嫌うに足る作品なのです。
いちいち「嫌い」と言わなきゃ気が済まねぇのかよ
平原綾香の 『Jupyter』 が嫌いな理由 皆さん、これまでに一度は耳にしたことがあるでしょう、平原綾香の 『Jupiter』。