2019-06-14

anond:20190605121931

気づくの遅れてごめんなさい。元増田です。

>日本国紀って版はまったく更新せずに刷りごとにサイレント修正してる

そうだったんですね。すいません、あんまりちゃんと調べてませんでした。立ち寄った本屋でちらっと奥付を確認したら、「2018年11月10日に1刷、2019年1月20日に8刷」というのだけはわかりました。

Wikipediaの「版と刷」という項目に、(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%88%E3%81%A8%E5%88%B7

日本では両者が(しばしば意図的に)混同され、実質的には刷である「版」や、実質的には版である「刷」も普通に見られる。

という文があるように、日本の出版界隈では、「版」と「刷」について、こうしなければならない、というような業界横断的な決まりや取り決めがないに近しく、出版社の、あるいは各書籍の取り扱いに任されてしまっている部分がある、というのが実情だと思います。

 IT系の話題にたとえるなら、アプリケーションのバージョン番号の振り方に横断的統一ルールがないのに近いように思います。個人的には、出版の「版」と「刷」もセマンティックバージョニングぐらい整頓されてもいいように思います ;)

これまたWikipediaの話題で恐縮ですが、Wikipediaで編集を行う際、ログインをしていると、編集において「細部の編集」というチェックを付与することができるようになります。全修正履歴を一覧できる代わり、大きな変更も微修正も並列に扱われるWikipediaにおいては、「記事が伝える意味に変化のない、単純誤字・脱字の修正や、リンクミスの修正等です」とあらかじめ明示することで、共同編集者の確認を省略できたり、より本質的で大規模な編集への注目を容易にすることができるからですね。

ただし、本来なら検証されるべき大変更が「細部の編集です」というチェックひとつで注目をかいくぐってしまうのは当然大問題ですから、Wikipediaでは「細部の編集に該当しないケース」を明示しています。つまり、この判断基準に従わないのはEVILだ、と言えるわけです。

何を言いたいかというと、修正においては「細部で些細」というケースと「大きな変更」というケースに分類が可能で、前者であればサイレントに近い修正であってもよかろうし、後者に関してはそうではなかろう、というのがひとつ。また、「この修正は些細/大きい、だからサイレント/版を更新」の判断は出版元、さらには出版倫理に任されてしまっているのが現状で、その検証は残念ながら容易ではない(=コストがとてもかかる)ね…というのがふたつです。

発行者が「些細な修正だからサイレントで修正しました」と宣言したとして、果たしてそれが事実であるか、信用できるか、という、発行者それぞれの信用問題に帰着してしまうように思います。

記事への反応 -
  • 現役の校正者です。出版社の校閲部所属ではありませんので、多くの出版社とお付き合いさせていただいてます。 幻冬舎の見城徹社長のインタビュー(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/20...

    • 日本国紀って版はまったく更新せずに刷りごとにサイレント修正してるんでしょ その違いは

      • 気づくの遅れてごめんなさい。元増田です。 >日本国紀って版はまったく更新せずに刷りごとにサイレント修正してる そうだったんですね。すいません、あんまりちゃんと調べてませ...

    • でも山崎豊子と わりと評価され売れ続けた作家でもコピペやそれに近いことしてたわけだよね

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