2010-09-10

仕事には意味なんてない

と、断言できる人は、生活に余裕がない。

生活に余裕がなければ、意味を考える(感知する)余裕もない。

こういう人は、自分現実主義者だと思っている。

けれど、単に現実に振り回されているだけだとも言える。

現実主義者になる以外に、選択肢がないということなのだ。

仕事をしているうちに、意味なんて見つかる」という話も聞く。

これは、「意味」というものの範囲を広く捉えれば、成り立つと思う。

具体的には、次のふたつを含めたい。

 1.「俺なんて、無駄で食っているようなものだよ。あはは」

 2.「仕事意味なんてない。生活(金)のため。甘いこと言ってないで、もっと現実を見ろよ。バカじゃねえの?」

これらを否定するのは、とても難しい。

その理由は、これらの意見が正しいからではなく、彼らが仕事をしているうちに、自分見出した「仕事意味」だからだ。

自分見出し意味」の力はとても強いので、それを彼らに捨てさせて、考えを変えさせることはできない。

また、そのようなことをする必要もない。他人は他人だ。

わたしは生活に余裕がないので、そのような説得をする余裕もない。そもそも、実際にそのようなことを言う人は、周りにいない。

なぜなら、周りに誰もいないからだ。

したがって、意味を見出すことは(良くも悪くも)適応の一種であり、意味を見出せない(ことに悩む)ことは不適応なのだといえる。

しかし、適応しているかどうかに、意味なんてない。

最も重要なのは、いくら金を持っているかだ。

ああ、はやく結婚したい。

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