2010-01-14

巻物の第3巻

私は、成功するまで頑張りつづける。

当方の闘牛を行なう国では、闘牛用の若い雄牛を選びだすとき、次のような方法で、その能力を試される。牛は競技場へ引きだされ、闘牛士の槍で、軽く突つかれるのである。勇猛な牛は、闘牛士を攻撃する。牛は何回も突つかれる。このときの、牛の反撃のありさまを見て、闘牛用の牛としての等級がつけられる。

刺された傷にもめげず、何回も反撃した勇猛な牛のみが、闘牛用の牛として選びだされるのである。

これより、私は、これと同じ方法で、毎日、人生そのものに試されるのだ。いかに傷つこうとも、いかに血を流そうとも、私が頑張り前進しつづければ、私は必ず成功する。

私は、成功するまで頑張りつづける。

私は敗北するために、この世に生まれてきたわけではないし、失敗が私の血管の中を駆けめぐっているわけでもない。私は羊飼いに鞭うたれるのを待っている羊ではない。

私はライオンである。私は、羊たちとともに、話し、歩き、眠ることをきっぱりと拒絶する。私は、泣きごとを言ったり、愚痴をこぼす者の言葉を聞かない。なぜなら、それは伝染性の病だからである。彼らは羊とともにいるがよい。私は、失敗という名の屠殺場へ引かれていきたくはないのである。

私は、成功するまで頑張りつづける。

人生栄光は、それぞれの旅の終わりにあるのであって、始めたばかりの地点にはない。そのうえ、その目標地点へは、何歩で到達できるのか、私には知るよしもない。千歩あるいて後、私は失敗と出会うかもしれない。しかし、次の曲がり角の向こうに、成功は隠れているのかもしれないのだ。だが、その角を曲がらないかぎり、何人も、そこに成功があるかどうかは、けっして知ることはできないのである。

私にできることは、ただ、次の一歩を踏み出すことだけである。ゆえに、私はつねに次の一歩を踏みだす。その一歩が、無駄な一歩であろうと、有効な一歩であろうと、それは私の関知するところではない。

事実、一度に一歩だけ踏み出すことは、そう難しいことではない。問題は、それをくり返せるかどうかである。


巻物の第2巻

http://anond.hatelabo.jp/20100111191057

記事への反応 -
  • 今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。 なぜならば、これは、いかなる仕事においても、成功するための最大の秘訣だからである。 腕力は楯を打ち砕き、人を殺すこともでき...

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