「1+1=2」が正しいかどうかは、「1」や「+」や「=」の定義次第だぜ?
定義は、全員が共有する必要がある。
「ぼくだけとくべつにあまやかされてとうぜんだもん」「だってぼくはとくべつだから」が正しいためには、
全員が「ぼくはとくべつだから」を共有する必要がある。
論理の正しさに、そういった類の正当性は不要でしょ。
「自分が考えてる定義」を「他人に」共有してもらう必要があるのではないかね?
「僕を甘やかして欲しい」と言うときに、「ぼくだけとくべつにあまやかされてとうぜんだもん」と言う方を彼らは選ばないでしょ。
「人は皆生まれながらに」とか「基本的人権」だとかの言い方をする。
もちろん、そこの部分に関しては議論に乗ってこないがね。(アプリオリとしてしまっている)
この場合、選択されているのは「人は皆」であって、「特別な人だけ」ではない。
「だってぼくはとくべつだから」ではなく、「だってみんなとくべつだから」と言う。
その中には、自分も含まれるから。
争点は、「論理の正しいかどうか」な。 「1+1=2」が正しいかどうかは、「1」や「+」や「=」の定義次第だぜ? 定義は、全員が共有する必要がある 共有する必要ないよ。共有できてな...