2009-10-04

中川昭一・前金融相が急死

心労、過労、敗北感が心理を呵んだのか

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所用を切り上げて帰宅しました。

慚愧に堪えません。

父上の中川一郎氏が「青嵐会」を結成したときに緊急の単行本をつくった。爾来、絶大なお世話にもなり、自裁される三日ほど前にも永田町ですれ違ったおり、車の窓を開けて、「やぁ」と独特の敬礼挨拶をされた。人なつっこい人だった。

愚息は、中川一郎氏が名付け親でもある。

家人が靖国神社の御霊祭りで昭一氏と偶会のおり、そのことを言うと「え、じゃ息子さんは宮崎一郎さんっていうの?」と微笑んだという。

父親の遺志をついで昭一さんも改憲精神の回復、防衛力強化にはことのほか熱心な政治家台湾の防衛にも死力を尽くされた。

中川一郎氏の葬儀三島由紀夫と同じ築地本願寺だった。通夜葬儀に手伝いに行ったが、本葬は四万人の人が本願寺を囲んだ。どれほど国民から愛され親しまれたか、市井の人々が焼香に並んだ。

あの人数をみたとき三島由紀夫葬儀のことを思いだして涙がこみ上げてきた。

冥福を祈りたい。

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  「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

     平成21年(2009年)10月4日(日曜日

        通巻第2730号  臨時増刊

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