2009-09-01

では、どんなときに100を目指したらよいのか?

私は、世の中には0か100の2つしかないと思っていました。

間の数字は、そのいずれかの仲間、あるいは単なる途中経過だと思っていました。

つまり最終的にみな100にしなければならないと思っていたのです。


ところが、8は8であり「およそ0」ではなく、

75は75であり「100に25届かない数字」ではなかったのです。

極端な考え方はやめて、その状態を大事にすることが

良く生きることなのだろうと最近気付いたのです。


例えば、私は部屋掃除を0か100でしか見ることができませんでした。

ところが、基本的には30で、たまに80、

年に数回でいい、100にすると快適に過ごせることに気付きました。

低空飛行をずっと続けることこそとても難しいですが、

これは生きるためにとても重要なことなのでしょう。

こうでも考えないと、自然掃除すら出来ないのは異常なのですが、

出来ない自分を責めるよりは自分はこういう性格なのだからと

割り切ってうまく付き合っていくのが精神的には良いのです。


またもう一つたとえ話をすれば、

私は趣味でさえ、必ず100を目指さなければ意味がないと思っていました。

そんな風では単に好きではじめたものも、100にすることだけを考えると、

そのうち嫌で嫌で仕方のないものになってしまうのです。

何事にもライバルがいて、とにかく自分が負けないよう、

100に近づける努力をしなければならない。

自分にそれが無理だとわかったら、わだかまりを残してかつて楽しかったことから逃げる。

だったら、60のままでもずっと楽しめるならそれは素敵なことではないでしょうか。


少なくとも「100に出来なかったら意味ないわ、0と同じ」

という生き方は改めて、間の数字にも目をかけて慈しんであげたいです。

「妥協する」というと、聞こえは悪いけど、だいぶ人生が楽になりそうな気がします。


100は言い換えれば、理想

理想を抱いてそれを目指すのは人間ならではの営みです。

でも、ありのままを楽しむこともまた人間にしか出来ないことだと思うのです。

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