2009-08-29

スティグリッツ:所得の総取り賞金

 フリードマンは、読む人を楽しませる幅広いトピックをカバーする彼の本を、米国が彼のビジョンであるモラル成長を追うための、ある種の政策についての分析で締めくくる。この議論は、楽観的であると同時に、悲観的である。政策は、明らかに我々の手のうちにある。だが、それは米国が近年追い求めてきた政策──それは二重の不幸な結末、息詰まる成長(ほどんどの損失は将来の結果となる)と、大きな社会的不正義を記録する社会の創出につながった──とは、ほど遠いものだ。

 発展途上国では、米国は大きな成長の賞金[sweepstakes]──GDPだけに焦点を当てれば、そうみなせるだろう──を勝ち取ってきた。しかしながら、GDP統計では、読み誤ることが可能である。それは、国がどれだけよくやっているか、市民がどれだけ裕福になったのかを本当に計測しているわけではない。

 どれだけよくやっているかをみるために、会社の収入だけをみる者は、誰もいないだろう。はるかによく関係するのは、資産と負債を示す貸借対照表である。それは、国についても同じである。アルゼンチンは、1990年代初頭に急速に成長したが、主として、それは海外からの過度の借入による巨額の消費の結果であった。しかし、その成長は持続不可能であり、実際に持続しなかった。同様に、米国は、1日あたり20億ドルという割合で、海外からの巨額の借入を行ってきた。それが高生産性の投資に投じられているとすれば、それもひとつの事実だろう。実際は、それは消費の拡大と、米国の高所得層のための大きな減税に投じられてきた。

 次の思考実験を熟慮せよ:もしあなたが生きるための国を選べるが、その国の所得分布のうちからランダムに所得が割り当てられるとすれば、1人あたりGDPが最も高い国を選ぶだろうか。否だ。最も適切な決定は、所得の中位数(50パーセントの人口がその下にあり、50パーセントの人口がその上にある所得の水準)によるものである。頂点にいる者の手にある富と所得の割合が増加し、所得分布の歪みが大きくなるにつれ、中位数は平均値よりも一層低くなる。それが、米国では、1人あたりGDPが増加し続けたにもかかわらず、米国の中位数に当たる世帯の所得が実際に低下していたことの理由である。

  • これ読んどけ http://anond.hatelabo.jp/20090829130243 発展途上国では、米国は大きな成長の賞金[sweepstakes]──GDPだけに焦点を当てれば、そうみなせるだろう──を勝ち取ってきた。しかしな...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん