2009-08-25

音楽とか映画とかその中身がってよりも その時の記憶っていうかさ、

音楽とか映画とかその中身がってよりも

その時の記憶っていうかさ、

その時の人と人との関係を思い出すことが多いだろ?

そう、つまり記憶というものは

決してそれ単体で存在せず、

それを取り巻く環境に支えられてるわけだ

ストナー/交響詩篇エウレカセブン

引用です。

最近、これと同じ経験をしたから書こうと思います。

僕は大学で留年した。何でかは重要じゃない。

留年したという経験が重要ななのだ。

留年が決定した去年春。

僕は何も気にしなかった。

最近引退したサークルがなくなって

自分の時間を楽しめるぐらいに思っていた。

大学3年の春休みで周りはせっせと就活をしていたがきにしなかった。

別に関係ない思った。

その年夏ある病気が俺を襲ってきた。

名前はなかった。

さまざまなネガティブな言葉が頭からまとわりつき毎晩眠れなかった。

親は心配し、夏休み中に僕は病院行くが「青春の悩み」として一蹴された

秋ついに病院で名前がつく、睡眠症候群睡眠相後退症という名前、

ちなみに不眠症とは全然違う。

睡眠が自分の意思とは関係なくズレていく病気。

僕はハルシオンという素敵な薬を飲む前に義務付けられる。

冬1年遅れた就活と卒業のかかるテストが迫る。

僕の気持ちはほぼ落下状態から低空飛行を始める。

毎日家に帰ってから寝るまで2chの実況版片手に暗くした部屋でテレビを見ていた。

春テストが終わったが就活で苦戦する僕は、前向きに投げ出すことを決意する。進路を変える。

 春と夏の間、僕は2年間つきあった彼女と別れることになった。理由にはあまり意味がない。

一緒に大人になれなかっただ。支えあえなかったからだ。僕はそう思った。ただ、ひたすら忘れることにした。

 また、夏が来る。ひょんなこと進路が決まった僕は、サークルが毎年するイベントが後輩がするのを見に来た。

睡眠症候群睡眠相後退症そいつが俺を呪い始めて1年がたった。

僕が変わったことといえば、人に会う時間が減り

コミュニケーションをとるのが減り、アニメが見る時間が増えたことかもしれない。積極性も減ったかも。

無感動にもなったも知れない。

でも、自分は自分。

そんなこときづきもしなかった。

サークルが毎年するイベントでたまたま後輩が僕が現役でやってた頃の音楽をかける。

ゆったりとして青臭い歌詞の曲だったが、よく覚えている。

その時不思議なことが起こった。滅多に泣かない自分が少しだけこっそり泣き。

いろいろな記憶が蘇ってきた。そのサークルで留年するがんばったこと。死ぬほど遊んだこと。

そのサークルで出会って最近分かれた彼女のこと。

そして、自分。僕は明るかった。

僕はコミュニケーションをとるのが好きだった。

3年間仲間といつもべったりでいつもくだらいないことを言っていた。

たくさんの記憶が一気に押し寄せてきてた。

僕は少し混乱して寝る前に失ったたくさんのもののために少し泣いた。

次の日朝目覚めると僕は僕になっていたのだ。

1年前の明るくコミュニケーションをとるのが好きでダメなところもたくさんある自分に。

そして僕は再確認するのだ。生きることとは他者と関わり、いいことも悪いことも経験し、個としてそれを蓄積することだと。

それを人は記憶とか思い出とかいう。

また、積極的に人に関わっていこう。傷つけることも傷けられることもたくさんあるだろう。

だけど、人はいや僕はそうやってでしか生きられないのだからだ。

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