とある地方都市でのお話。
小学生~中学校の時、学校に「特別学級」と呼ばれるクラスが学校に併設されてた。所謂、知的障害を持った子供が所属するクラスだった。
自分の小学生の時の記憶では、当時、ダウン症の子供も含めて全学年で4~5人ぐらいがいたように思う。中学生になってからは、比較的障害の度合いの低い子(この表現が正しいのかは疑問だが)が一緒に進学し、残りの子供達は養護学校へ、という形だった。
授業によっては自分達と「特別学級(または障害児学級とも呼ばれていた)」のクラスの子供が一緒に学んだり、ということもあった。勿論、知的障害を持った子供達だったので、一緒に授業を受けると言っても、その内容はその子だけ違ってるし、授業中に奇声を発したり、落ち着かなかったり・・・といったことも多々あったが、それほど大きな問題も無く当時小学生だった自分達には受け入れられてたと思う。ただ、小学生なので、やっぱりイジメというか、からかいと言うか、そういう出来事も起き、それこそ「帰りの会」で取り上げられて問題になったりすることもあったが、その都度それなりに解決してたように覚えてる。
さて、前置きが長くなってしまったが、その私の通っていた小学校に併設されていた「特別学級」に、私の同級生にあたる年齢のH君と言う人物が居た。
彼には弟もいたのだが、彼も、彼の弟も知的障害(この場合発達障害を含む)を持っており、通常の会話はある程度できる(といっても幼稚園児と会話するよりも難しいレベルだったが)が、落ち着きがなく、興奮して奇声を発したりという行動が多かった(主にH君の弟の方がこの行動は顕著だった)。
H君兄弟とは小学校6年間+中学校3年間(H君とその弟は養護学校へは行かず、普通の中学校へ進学した)を一緒に過ごしたこともあり、H君兄弟の行動や態度に私を含め、同級生、周辺地域の人達はすっかり慣れてしまっていた・・・。そうした中、私の友人がアルバイトしている飲食店でその小さな事件は起きた・・・。
私の友人がアルバイトしている飲食店は、H君兄弟とそのお母さんがたまに御飯を家族で食べに来るお店だった。お母さんの仕事のせいか、H君兄弟、もしくは片方が先に店でお母さんを待っている、という状況も良くあることだったそうだ。
その日も、H君の弟が友人のバイトしている店に先についたようで、店内で友人に案内されて、最初は大人しく席で待っていたようだ。だが、(いつものことらしいが)だんだんじっとしているのが耐えられなくなってきたのか、奇声をあげながら店内を歩き回ったりするので、友人が注意して・・・の繰り返しだったそうだ。そんな中、店内で食事をしていた一人のご婦人が友人に声をかけた。
ご婦人:「ねぇ、ちょっと店員さん、アレは何?」
友人:「えっ!?アレは・・・と言われましても・・・(汗)」
ご婦人:「いえね、障害を持った人だとは見ればわかるわよ、前にこのお店来たときも一度見たから。でも貴方、こんな状況でゆっくり安心して御飯が食べられると言うの?私からすればいつ何をされるかわからないし、あんな人が来るなんて怖くてもうこのお店来れないわ」
友人とそのお店の店長は一応H君の弟が無害(この言葉が適当かどうかはさておき)な事を説明はしたらしいのだが、結局、そのご婦人は食事の途中でお代を払って立ち去っていったそうだ・・・。
友人はこの出来事を私に話してくれた後、こう続けた・・・「ねぇ、一体どうすれば良かったのかな・・・」
友人も、友人の働くお店の他の店員も店長もH君兄弟の事は前から知っていたし、地域の人達もそれなりにH君兄弟についての認識(落ち着きは無く、奇声を発したりすることはあっても最低限の善悪の判断{やってはいけないことがわかる}は出来る)は共有してたと思う。そんな中、たまたまお店に来ていたそのご婦人にとってH君の弟はどのようにその目に映ったか・・・勿論それも容易に想像はできるが、だからと言ってH君兄弟を出入り禁止にするわけにもいかないだろう。これが田舎の小さな地方都市の話でなければ、話はまた違ったのかもしれない(それが正しいか正しくないかは別として)。
私は、友人にこの件を相談された時に、正直、何も思いつかなかった。誰かが悪いとかなら話は簡単だが、この場合、誰も悪く無いし、地域社会という閉鎖的な場所のみ通用していた共有認識に外部から「ご婦人」というキャラクターが訪れたことによる軋轢(この比喩が適当かはわからんが)、とかいうので片付けるにはなんとも私自身が感覚的に落ち着かない。
今でも答えは思いつかないが、ずっと考え続けることが答えなのかもなぁ・・・でもそれも一種の逃げだよなぁ・・・とかぼんやり思ってる。