2009-08-24

辞める事は良かったのか、

「辞めるか、アルバイトで一からやり直すかどっちかだ。今すぐ選べ、今すぐだ。」

ぼくを喫茶店に呼び出した社長が突き放したように言った。


1年前、正確には1年と2ヶ月前に生まれて初めて正社員として入社した会社を辞めた。

今とは違って当時は売り手市場だった就職活動で、どこからも内定を得られなかったぼくが卒業してから8ヵ月後にようやく入れた会社だったのに。

数人の規模の零細イベント会社だった。たまにあった大学時代の友達に幾ら説明しても仕事内容を理解してもらえないほどいろんな仕事が出来た。

仕事は正直楽しかった。昨日まで既卒フリーターでしかなかった自分の仕事がいろんな人を動かしたりするし。

ただ仕事は出来なかった。新人研修と言う名のOJTを経て現場投入されてからというものイベントをやるまでの間ミスをしまくった。これでもかと。

数人規模の小さな会社だから、ぼくの上には同い年の先輩しかおらず結局のところ社長が直属の上司となる。そしてイベント会社の社長なので社長はワンマンだった。

ミスをしたらダイレクトに怒りが伝わってくる。怒鳴る、殴る、罵倒は当たり前だった。罵倒とかってそういえば社会にあったんだなぁと思い出した。

気がついたら就業時間は9時10時。休みの日もいつの間にか会社にいることが多くなった。9時から10時まで。

イベント業界って体育会系で、ぼくははてなにアカウントを持つほどには文科系なわけで、ミスって怒られる以上にそののりが嫌だった。

最低限の礼儀はわきまえていたつもりだったけど、それでは足りなかった。場の空気を体育会的に読んで、それを実行してかなければいけなかった。

毎週水、金はほぼ必ず社長が飲みに行く。基本的に社員は逆らうことが出来ない。毎回ついて行くしかない。親分肌の人だったので一軒では終わらなかった。

週に何時間この人といるんだろうと言うほどに一緒にいた。社長いわくぼくは舎弟だそうだ。社員にはなったが、舎弟になった記憶は無かった。

社員ではなくて舎弟の僕には平日だろうが休日だろうがメールや電話がかかってきた。社長から。「明日俺も出るから会社に来い!」とか「今から飲みに行くぞ!」とか。

だから当時携帯が鳴るのが恐かった。飲みに連れて行かれ、社長の自慢話に毎回付き合わされる。どれほど自分が優れているか、どれほどの修羅場をこれまで潜り抜けてきたか。

俺には○○があるが、お前には無いといった訓話。確かに十数年この業界で生き残ってきた人であったので話は面白かったが、やっぱりそれは苦痛だった。

唯一の救いは粋な料理を出してくれる小料理屋も社長がお気に入りのママのいるクラブ(語尾が下がらない方)も全て会社の経費で済んだことくらいか。

それもぼくが辞める2ヶ月前に状況が一変した。いつものようにぼくを一通り怒鳴った後、突然社長はしばらく給料を待って欲しいと言い出した。

他の皆にも待ってくれと言っていると。そこから取引先の社員さんにアドバイスされて、辞める前に給料を払ってくれと言うまで2ヶ月間給料は払われなかった。

にもかかわらず飲みには毎回行くわけで、その飲み代はぼくや先輩が立て替える羽目になって、多分そこから心が折れてしまったのだと今にして思う。

それから2ヶ月間、無理やり飲みに連れて行かれ、立て替える夜。社長は優雅にタクシーに乗って家に帰る。

「辞めるか、アルバイトで一からやり直すかどっちかだ。今すぐ選べ、今すぐだ。」

お給料が出なくなる1ヶ月前休日出勤時に社長に雷を落とされた時、心の中で望んでいたことだった。アルバイトにしてもらって一からやり直すこと、って。

一番の大きなイベントが終わった後だった。一息ついて、これからどうしようかなぁという時に、この提案、というか首宣告。

ぼくの前に5人くらい短期間で辞めてしまっていたので、労基署にも怒られるからこういう苦肉の提案をしたのだという。ここで折れ始めた心が完全に折れてしまった。

もしかしたら温情なのかもしれないけれど、「あぁ、もうぼくは要らないんだ」という思いの方が強くて、そして悔しくてしょうがなかった。


「ハイ、今月一杯で辞めさせていただきます」


悔しさとか寂しさとかそういうのを全て押し殺して、最大限何事も感じていませんよという呆気ら感を精一杯装ってと言ってやった。

その後、喫茶店で社長もぼくもなるべく明るく装っていつもよりも砕けた感じで少し話をした。雇用関係が無くなったんだから萎縮する必要も無い。重かった肩の荷が下りた。

休日平日昼夜問わない社長の監視から、罵倒から開放されるのが嬉しかった。一気に体が軽くなるのを感じた。会社に行くのは嫌じゃなかった。先輩は良い人だったし、

何より綺麗だったし。でも、でも、でも社長に朝から会うのだけはもう耐えられなかった。罵倒されるのが耐えられなかった。電話がメールが始終来るのが耐えられなかった。


「お前はうちより小さい会社にしか行けないぞ、それかどこも就職できないぞ、ハハッ!!」

と最後の止めを打ち込まれて、社長とぼくは喫茶店を後にした。


これで今月末でぼくの短い就職も終わりだと思ってたら、その翌日なにが気に障ったのか今では全く思い返せないことで外出先から社長に電話で酷く罵倒された。

もうぼくの心はすでに折れてしまっていたのでそれに耐えるのは無理だった。充分大人なのに弱弱しくなってしまった声を振り絞って「もう無理です」と告げその日で会社を辞めた。

社長はあまりに怒っていたのか、全て先輩と社長の奥さんに手続きをしてもらって、社長の思惑通り自己都合退職で会社を辞めた。



あれから1年と2ヶ月。ぼくは社長の予言どおり就職できてはいない。景気が良いからと高をくくっていたらリーマンショックで一気に求人が減ってしまった。

親元に住んでるから何とかなってはいるものの貯金は底をつきそうだ。だからかたまにあの時の喫茶店を思い出す。

アルバイトでも良いから雇ってくださいとぼくが言っていたらどうなったのかとか、そういう不毛なことを考えながら。あの窮屈すぎる日常を1年間耐え忍んでいたら、

ぼくはそこに慣れることが出来たのだろうか。日々の罵倒、メールと電話、強制的な飲み等などに耐えられたのか。我慢すべきだったのか、社長の舎弟になればよかったのか。

でもあの時のぼくは本当に”死んで”いたと思う。死にながら生きるよりは今のニート状態の方が精神衛生上は多少マシかもしれなくも無い。別の意味で精神的にはつらいけれど。


多分あの時辞めてしまって良かったんだと思う。そう、思いたい。

  • 給料遅配の段階ですでにその会社ヤバイから辞めて正解だったよ。   嫌な奴ほど仕事についてるもんだよね。嫌な世の中。

  • 給料すら払えない会社の社員なんて 人生の恥だよ。 恥部だよ。 辞めて正解。 職が決まらないのは別の問題だ。

  • おいおい、 それ、全部、雇用保険の手続きの時に話して、 証拠を出せば会社都合扱いにしてもらえる可能性だってあったぞ 無茶苦茶な会社じゃん 職業訓練でも行ってやりなおせよ

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