高度成長期は割かし透明だったんじゃないかなあ。知らんけど。
高度成長期は公害もあったし、過疎過密とかの問題も進行してたわけでこのままで大丈夫とは思われてなかったんでは?
問題があるかないかじゃなくて、問題があったとしても「それもいずれ解決されるんじゃね?」という(根拠のない)楽観主義こそが「見通しの透明さ」だと思う。
楽観主義を透明と呼ぶのは強引では? 悲観的な将来予測でも正確なら見通しは透明といっていいはず。にほんがだめぽというのも少子高齢化とか前から予測済みのことだから別に不透明...
そういう意味では今現在も割と透明だと思うなあ。 どう考えてもダメになる、という意味で。 でも世間一般的にはそういう状態を「不透明」と呼んでる気がする。 つまり、「不透明=...
不透明よりは閉塞感というほうが妥当なんだろうと思う。