世の中に、ありのまま愛されている(と愛する側も愛される側も思ってる)人間なんて腐るほどいると思うけどなあ。何故そんないないことにしたいのか。ありのままの人間なんて愛されるわけがないと信じることによって、努力のモティベーションを保つ方便なのか?愛することを知らない人なのだろう。
Permalink | 記事への反応(1) | 18:09
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そう思う根拠は何だ?
愛は勘違いなのだから、お互いがありのまま愛し・愛されていると勘違いしている限り、ありのままを愛し・愛されることは可能だろう。
自分の愛する人が、たとえ事故にあって植物状態になって意思疎通出来なくなって生活上の大きな負担になってもきっと自分は愛し続けるだろう、という予感(ほとんど確信)。
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