ぼくはあたまがわるいのでひらがなしかかけません。
ろうどうじかんやぶしょをもっともっともっとこまかくこまかくわけて、
すべてのかいしゃのろうどうじかんをぱーとせいにして
かんたんなしごとをすきるのないひとたちにあたえてみてはいかがでしょうか。
そのかわりきゅうよはいままでのはちわりぜんご。
これはげんりょうのぶっかがあがってるから、きゅうよがへるのはしょうがない。
もんだいはかんりてきいちにいるひとのろうどうじかんちょうかですが、
これはかんりしゃをふくすうせいにしてろーてーしょんてきにまわす。
もちろんにんげんかんけいのもんだいははっせいしますがそこはここのかいしゃでがんばってもらいます。
しかしはけんもんだいにはもうひとつもんだいがあって
「かんりしゃをいくせいできない」があります。
これはむかしならじぶんのかいしゃでいくせいしてそだてていけたせいどが
はけんをりようすることによってだんせんしたところがあるからです。
はけんしゃいんのなかにもかんりしゃむきのひとはいるはずです。
そういうひとがはけんのままいる、これはしょうらいてきにはだいもんだいです。
はけんかいしゃもぼちぼちかんりしゃをはけんかいしゃがわでようせいするじだいにきてるのではないでしょうか。
つまりはけんかいしゃのがわもつかいすてるのではなくりそうてきには
「どこのかいしゃでもつかえるえーじぇんと」なじんざい(とくにだんせいにひつようだとおもいます)
をいくせいするきかいやきょういくせいどをもうけてはいかがでしょうか。
いじょう、ぼくのかんそうぶんをおわります。
どうしてきぎょうははけんしゃいんをせいきしゃいんとしてこようしようとしないの? どうしてきぎょうはじんざいいくせいにだんせんがしょうじるもんだいにめをつぶってはけんしゃ...