2008-12-28

誕生日

25歳になった。昔からクリスマスとセットにされていたせいか、どうしてもこの季節になると意識してしまうので、この日を忘れるということはない。しかし、年を取ることに対して、なんらかの感情が沸き上がってくるということが、なくなってきた。中高生くらいのころはあったと思う。あれはなんだったんだろうか。大人に近づいているという期待感みたいなものだっただろうか。実のところ、毎年必ず年齢と学年ばかりがあがっていき、俺って成長してるんかなと思う気持ちも強かった。知らぬ間に成長していたのだと、いまは信じたい。社会人となり、こうして世間的に大人と見なされる年齢になると、学生という、まだ何者でもないことが許される身分が、ひどく懐かしい気持ちになる。そのせいで、年を重ねることを、素直に喜べなくなっているのだろうか。だとするならば、これからずいぶんと長い年月を、この未練と呼ぶべき感情と共に過ごさなければならない。それはひどくつらいことのように思う。大人というのは、その多寡はともかく、このような感情を持つのではないかと思うのだが、人間が長く生きるということは、この未練と、どれだけ長く、そして深く付き合うかということなのだろう。長く、深く付き合いすぎると、その感情に飲み込まれてしまうだろう。いまはまだ、年を取ることに対して、恐怖したり、悲しむことはないが、いまのまま生きていたら、そうなるのではないかという、そんな予感がある。いや、そういうので、ひどく歪んだり、表にあからさまに出すことはないだろうが、だからこそ、なんらかの形で細々と表出させるのではないか。それを人は歪むというのだが、それがどのような形なのか、少し恐ろしい。そういう屈折を、どんな大人も、ある程度は抱えているのではないかと思い、こうして考えてみるのだが、そういう人も思い当たるが、そうでない人も多い。はて。あんがい分からないものなのだろうか。

誕生日というのは、いろいろ面倒なことを考えさせやがる。

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