「才能」という概念が、先天的にそなわってる気性として話されるから
「努力の才能」という話って、ややこしくなるよね。
実際には、一部の物事に対する努力の才能っていう生まれ持ってのものは多少はあるととは思うけれど、それがどの程度まで先天的な部分が影響しうる範囲で、どの程度まで後天的な部分が影響しうる範囲かってのは分けて考えるべきよね。
「才能」って言っちゃうと、ぜんぶうまれもってのもののことを指してしまうからねぇ。
「努力する能力」というのであれば、どうですか。太郎。
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