2008-08-31

どうやらつまらない日常が一般化されているらしい。では、次のステップに移るにはどうすればいいだろうか。バカみたいに宗教を批判していたけど、自分の中に勝手宗教創造するのもいいかもしれない。だけど、それをするには相当な努力が必要になる。既存の宗教のツギハギの方が楽だろう。むしろ、どっかの宗教に属してしまった方が楽だ。

宗教に属することで孤独から解放される場合がある。みんながみんな信仰を持っているわけじゃない。だけど、それに属することで仲間が出来る。知り合いが出来る。学校会社で友達が作れなかった人も、宗教に属することでいろんな人に出会えるきっかけが出来る。これは素晴らしい利点だ。だけど、宗教の胡散臭さは取り外せない。そんな人のために「空飛ぶスパゲッティモンスター教」というのがある。詳しくは知らない。

何かに属するのは嫌だ! っていうニートチックな人には孤独オススメだ。孤独には否定的なイメージがつき物だが、孤独を愛することが出来れば人生楽しく生きられる。特に哲学小説とご飯だけで生きていられる人は孤独オススメ。後は最低限の金銭を稼ぐだけの社交性があれば十分だ。どうせ世の中で本当のことなんてわからないんだ。事実なんてなくて、解釈しかない。だったら、その勝手解釈の中で生きることが出来れば、つまらない日常から解放されるだろう。もちろん、努力は必要だけどね。

では、そんな両極端じゃない凡人にはどう生きたらいいだろうか。宗教は嫌だし、孤独も嫌。ただ、何の目的もなく今を生きている。だったら、とにかく驚く技術を身につけることだろう。「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ」という論理に従い、何でもわざと驚く癖をつけて世の中を楽しもうという魂胆だ。形式から入ってしまえば凡人でも楽しくなるはずだ。愛想笑いでも構わない。何でもいいからオーバーに驚く習慣をつければいい。何でもないことが面白く感じるだろう。

そもそも、大抵の趣味は少数の人間がその価値見出し、広めて言った結果だ。その外付けの価値が伝播した結果、大衆が楽しめるようになって行った。だったら、なんにでも価値を見出せるようになればいい。つまらないのが普通なんだから、面白くなるように訓練すればいい。テレビがつまらなくなったのは訓練しなくなったから。そう考えれば楽だろう。

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